【長崎市被爆建造物関係】杉本家のレンガ塀
どうもノブです。
今回紹介するのは、長崎市家野町にある『杉本家のレンガ塀』です。
場所はコチラになります。
長崎市内でもメインの道路ともいえる国道206号線沿いの歩道にポツンと残っています。
私も長らくこの道を利用していますが、調査する中でこの「レンガ塀」があることに気付きました。
『杉本家のレンガ塀』と名前の通り、これは民間の方が自宅の外囲いとして立てたレンガ製の塀になります。
説明が記載されたプレートも展示してあります。
写真からは文字が読みにくいと思いますので、引用文を起こしておきます。
高さ1.2m、厚さ約25cmのレンガ塀。塀の内側に住んでいた杉本巌さんは、原爆が落ちた時、爆心地から約3.6km離れている梅ヶ崎町(今の新地町)の長崎郵便局で勤務中だった。
夕方自宅にたどり付くと木造2階の家屋は焼け落ちていた。爆心地から北に約1.5km、120坪余りを囲んでいたレンガ塀は、被爆後の人探しや、被災家屋の確認等の目的にもなったといわれる。
今はこの標柱を残すのみであるが、「1945年8月9日、戦争で長崎に原爆が投下され、たくさんの人が亡くなり、その後もたくさんの人たちが病気で苦しんだ。
原爆を決して忘れることがないよう、子共たちに語り伝えていきたい。」という思いを込めて残されている。
長崎市はこの地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願って、この銘板を設置する。
2010年(平成22年)3月長崎市(原爆資料館)
写真で後ろにアパマンショップとあるように、当たり前のように町並みに溶け込んでいます。
長崎市内には、こういった生活に身近な場所でも被爆の悲惨さを現代に伝える構造物が複数あります。
元々この塀は裏に連続して立っていましたが、時代が流れるにつれ開発が進み、現在の長さになったようです。
長崎市は当時、原爆で被爆した構造物の大部分を遺構として残さず、復興を急ぎました。
同じ被爆都市の広島と比べると、現存する遺構の数は少なく数えられるほどしか残っていません。
数少ない遺構のひとつとして、原爆の悲惨さを後世に伝えるためにも大事に残していきたいです。
構造物の情報
場所:長崎市家野町1
専用の駐車場などはありませんので、訪問される場合は、路面電車や路線バスなどの公共交通機関をご利用ください。
最寄電停:若葉町(140m)、長崎大学前(190m)
最寄バス停:若葉町、長崎大学前