現在、眼鏡橋の下を見ることができます(⦿_⦿)「諫早公園」
ど〜もノブです(^0^)
先日、twitterにもあげましたが、
現在、諫早公園にて眼鏡橋の架橋180周年を記念して橋を下から見ることができるよう遊歩道が設置されています(^o^)
— ノブの長崎ぶらぶらブログ (@Nobu_Nagasaki) 2019年4月7日
5月上旬までの期間限定なので興味のある方はお早めに◎#眼鏡橋#架橋180周年#諫早公園#長崎県諫早市 pic.twitter.com/L00SiCph2W
長崎県諫早市にある『諫早公園』に行ってきました◎
場所はコチラです↓
眼鏡橋とは
諫早公園には「眼鏡橋」があります(^0^)
長崎県外の方からすると眼鏡橋って長崎市にあるんじゃないの?
と思われるかもしれませんが、、、。
諫早市にもあるんです!(⦿_⦿)
しかも諫早市の眼鏡橋は、、、。
橋長が長崎市の眼鏡橋よりも2倍以上あるんです!(⦿_⦿)
そして架けられたのは長崎市の方が200年ほど早いんですが、、、。
- 長崎市の眼鏡橋:1634年
- 諫早市の眼鏡橋:1839年
国の重要文化財になったのは諫早市の眼鏡橋の方が先なんです!(⦿_⦿)
※諫早の眼鏡橋は、日本で初めて国の重要文化財に登録されました。
そして諫早市の眼鏡橋、、、。
今年で架橋されて180年を迎えたんです!(⦿_⦿)
そしてそれを記念して今年は、、、。
遊歩道が整備され、眼鏡橋の下を見ることができるんです!(⦿_⦿)
歩いた写真を載せる前に、、、
少し眼鏡橋について書いていきたいと思います(^0^)
眼鏡橋の概要
wikiより引用
橋の長さは49.25 m(長崎の眼鏡橋の約2倍)、高さ7 m、幅5.5 m、架橋に用いられた石の数は約2800個で、大型の橋であったため切り石の組み方に苦心が払われた。
総工費は約3500貫文(現在の金額に換算すると87,500,000円くらいになると言われています)。
1839年(天保10年)、現在地から約500メートル離れた本明川に架けられた。
世話人たちは「水害でも流されない頑丈な橋」を目指し、長崎の眼鏡橋を参考に架けたといわれている。
芥川賞を受賞した作家野呂邦暢は『諫早菖蒲日記』で洪水に弱い諫早のことを書いているが、眼鏡橋は世話人たちの願い通りの出来で、以後一度も流されることはなかった。
1957年(昭和32年)に起きた諫早大水害では、死者・行方不明者580人以上の犠牲者が出た。
眼鏡橋は欄干の一部が損傷しただけだったが、眼鏡橋がせき止めた流木やがれきが、水の流れを変え、被害を拡大したとの指摘がなされた。
水害後の復興策では川幅拡張工事に合わせ爆破解体する案も浮上したが、当時の野村儀平市長らが街のシンボルかつ文化財として保存することを強調、さまざまな働きかけで1958年(昭和33年)、日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定された。
このため、1959年(昭和34年)から1960年にかけて諫早公園への移設工事が行われ、今日も美しい姿を水面に写している。移設工事時に石工たちが参考資料として作った1/5モデルが埼玉県所沢市のユネスコ村に移された。
ユネスコ村の閉園後、地元有志の尽力により、「ミニ眼鏡橋」は目の前の高城公園に移設された。
この眼鏡橋とミニ眼鏡橋の移設に関しては以下のページに詳細が記載されていましたので、ぜひご覧ください(^0^)
見学してきました!
現地はこんな感じでした(^0^)
↑パノラマで撮影したらすごい角度になっていますが、90°で曲がっています(^_^;)
先にも書きましたが、眼鏡橋は今年で架橋から180周年を迎えました(^0^)
それを記念して今回遊歩道が設置され、普段見ることができない「下側」を見ることができます(⦿_⦿)
1959年(昭和34年)から1960年にかけて行われた移設工事を思いながら見学すると、違った面から楽しめると思います◎
また現在、諫早公園一帯では「諫早つつじ祭り」が開催されています( ´∀`)
歴史ある諫早市の「眼鏡橋」と「咲き誇るつつじ」をこの機にぜひ訪れてみてください(^0^)
眼鏡橋の情報
遊歩道設置の期間:5月6日まで
遊歩道の開門時間:10:00~17:00
駐車場:公園目の前に数台分あり
住所:長崎県諫早市高城町770-2